【今昔マップ比較】江戸四宿のひとつ「品川宿」~現在の様子とは!?~
こんにちは!
皆さん、子供の時、歴史はお好きでしたでしょうか?
私は、こんなの将来何の役に立つんだと思っていたクチで、まともに学んだり学ばなかったりでした 笑
そんな私ですが、江戸時代の交通の要所であった五街道に注目。
五街道は幕府によって整備され、参勤交代などで各地の大名が利用したとされていますが、
街道沿いに置かれた宿場町が大きな経済効果を生み、庶民の旅行などにも利用され、普及していったそうです。
今回は、江戸時代に宿場町として栄えていた場所が、現在はどのようになっているのか歩いて確かめてきました!
※最近貸店舗物件のど真ん中情報というより、再度情報が多くなってしまっておりますが。。ご興味お持ち頂ければ!
江戸四宿
宿場町の中でも特に有名なのがこの江戸四宿。
江戸四宿とは、江戸と地方を結ぶ五街道の各街道の最初の宿場町を指します。
起点である日本橋から2里(約8km)以内のところにあったため、江戸の出入り口として重要な役割を果たしました。
五街道 | 江戸四宿 | 現在地 |
東海道 | 品川宿 | 青物横丁駅周辺 |
中山道 | 板橋宿 | 板橋駅周辺 |
奥州街道/日光街道 | 千住宿 | 北千住駅周辺 |
甲州街道 | 内藤新宿 | 新宿三丁目駅周辺 |
筆者は、品川宿周辺に散策にいってきました!
品川宿周辺
現在の青物横丁駅周辺が最も近いと言われています。品川駅ではないんですね。
これは駅周辺にあった地図なのですが、地名には「海岸」「なぎさ」が多いことが判明。
カシミール3Dを使って地形を調べてみました。
これが2005年現在の様子で、赤い丸が青物横丁駅を指しています。
そしてさかのぼって1896年。
なんとすぐそばまで海岸線が!
埋め立てられる前の様子であることが分かります。
これが1927年。
これが1944年。
戦後以降少しずつ開拓されていってます。
1965年。
1983年。
ここまでくると、現在とほとんど変わらないですね。
現在の品川駅は完全に埋立地なんですね(笑)
当時ここまで海岸があったのではないかと思われる痕跡も発見しました。
これは、旧東海道より一本海岸よりの通りなのですが、
明らかに高く住宅が建設されており、津波に備えていたのかもしれません。
そしてこれが商店街の様子。
景観が統一されている印象を受けますね!
見た限り電柱などもなく、落ち着いた色合いの建物が多く設計されています。
またこの大通りから横に伸びる路地も趣があります。
小学校もこんなレトロな標識が!
商店街が表だとすると、路地はまさに裏の顔。
洗濯物が干してあったり、植木鉢がはみだして置かれていたりと、住んでいる人の生活が感じられます。
しばらく旧東海道を歩いていくと、品川宿の本陣跡も発見しました。
現在は公園として指定されているそう。
江戸時代の人たちはここで長旅の疲れを癒していたと考えると感慨深いですね。
いかがでしたか?
その土地の様々な歴史について考えてみると、貸店舗物件をお探しの皆様にとって有益な情報となるかもしれません!
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