【日本一のオフィス街】丸の内の歴史、そして再開発に迫る!!
こんにちは!
東京駅・丸の内といえば、日本屈指のオフィス街として有名ですよね。
近年、レンガ造りの東京駅も新しく改修され、サラリーマンだけでなく、多くの観光客が訪れるスポットとしても人気を博しています。
丸の内エリアでの貸店舗物件をお探しの方も多いですが、実は三菱地所という企業によって、エリア一帯の開発が行われているのをご存知でしたか?
今回は、そんな三菱地所が掲げている理念・プランを参照しながら、丸の内側の再開発について紹介していきます!
参考資料
http://www.mec.co.jp/j/service/office/pdf/mec130417_marunouchi_area.pdf
丸の内の歴史
丸の内の歴史は、江戸時代までさかのぼります。
実は、江戸時代には、このエリア一帯は大名屋敷として使われていました。
徳川幕府が全国の大名に江戸城の建設を命じた際に、その準備として低地であったこの丸の内エリアの整備も行われ始めました。全国の大名たちは参勤交代制度によって、江戸に住むことを命じられていたので、第二の家としてこの地に屋敷を構えたのですね!
この写真は筆者が丸の内を歩いて見つけたマップなのですが、とても大きな区画で分けられており、住んでいた大名の権威の高さが伺えます。一つの屋敷に住む居住者は多くて5000人程度、少なくても500人はいたそうです!
明治維新以降は、大名は廃止され、大部分は軍用地として利用されていましたが、1890年(明治23年)に三菱社が買取ったことをきっかけとして今日のようなビジネス街へと発展していきます。
ロンドンの市街地をモデルとした煉瓦造りのビル建設が進められ、大正3年(1914)に東京駅が完成すると、事業所の新設・移転が相次ぎました。新丸ビル、大手町ビル、東京ビル、日本ビルなどをはじめ、銀行や各種企業のビルなど巨大なビル群の建設ラッシュが続き、わが国最大のオフィス街として発展しました。
三菱地所による大規模開発
三菱地所では、大きく3つの段階を踏んで再開発が行われています。
下の地図を参考に、建物が建てられた年代に注目してみてくださいね!
▼丸の内再構築第一ステージ
1998年から始まり、都市機能の高度化に資する多様な機能を導入し、東京駅周辺への活気・賑わいを創出しました。
主な施設として丸の内ビル、OAZO、新丸の内ビルなどがあります。
▼大手町連鎖型再開発
大手町合同庁舎1・2号館の跡地を再開発する取り組みで、国際的なビジネス拠点としての大手町地区の再生を目指しています。
主な施設として日経ビル、JAビルなどがあります。
▼丸の内再構築第二ステージ
再構築の更なる「拡がり」と「深まり」を目指し、丸の内エリア全域へその効果を波及させることを目的としています。
出典:http://www.mec.co.jp/j/service/office/pdf/mec130417_marunouchi_area.pdf
なんで丸の内は超高層ビルが多いのか・・・
東京駅の敷地の空中部分の容積率を買収しているから!
2012年10月に、東京駅がリニューアルオープンしましたが、JRはおよそ500億円の改装費用を、敷地の空中部分の容積率を周辺のビルに売却することによって調達していたそうです。なんでそんなことが実現できたのでしょうか。
それは特例容積率適応地区制度に指定されているから。ちなみにこの制度に指定されているのは、大手町・丸の内・有楽地区だけだそうです。
たしかに言われてみれば、東京駅は周辺の高層ビルと比べても低くなっていますよね。皇居から見る丸の内の風景は独特なものとなっています。
丸の内仲通りの様子
NPO法人の大丸有エリアマネジメント協会による取り組みで、丸の内仲通りのオープンスペースを利用して、路上での演奏やパフォーマンスも行われています。
いかがでしたか?
丸の内エリアは日本最大のオフィス街であるため、なかなか貸店舗物件を押さえることは難しいかもしれませんが、一体感のあるまちづくりの事例の一つとして紹介しました!
外資系の会社からも非常に人気の高い丸ノ内ですので、
出店競争は必至ですが、ご興味ある方はお気軽にご相談ください!
店舗開発を考えている方は、是非参考にしてみてくださいね!
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